自分の中で割り切れなかったものが心からはち切れて。
■かつて…
美樹さやかが魔女になった理由を知るには、彼女の価値観や思考に沿わなければなりません。自分たちが受け入れている現実のアレコレをさやかは受け入れてない場合があるからです。
その為に、まずは8話までの道程を振り返ってから第8話での心情の変化を辿りたいと思います。
魔法少女や魔女の存在を知る前の美樹さやかは、彼女の言葉通り世間に星の数ほど散らばっている不幸に出遭うことなく生きてきた「幸せバカ」でした。ただ、彼女には事故に遭い左腕が不随になった幼馴染みの上條恭介という存在がいて、「不幸に出逢う誰かがこの世界には必ずいる」コトを知っている。
基本的にお気楽なキャラで考えるより先に体が動くタイプですが、反面どこか他人に一線をひいていて自分の心を深いところまでさらけ出せない人間でもあります。上條に対して想いを打ち明けてこなかった(気軽に上條の家に遊びにいくことも出来なかった)コトもそうですし、明るいキャラを装っての人付き合いにもそれが現れています。
色々と複雑な内面はあっても概ね幸せな日常を生きてきたさやかの運命は、まどかと共に魔女の結界に迷いこんで絶体絶命の窮地にあったのを巴マミに救われることで大きく変化していく事になります。
■魔法少女へ抱く希望と理想、そして瓦解
巴マミによって、さやかは世界に不幸をもたらす魔女の存在とそれを倒す使命を帯びた魔法少女の存在を知ります。この時点においては見滝原市の平和を守る正義として魔法少女が機能していると認識するワケです。暁美ほむらの存在はそれに迎合しない邪悪なものとして考えています。
そこから巴マミによる魔法少女研修が始まるのですが、その中でのマミはさやかの理想通りに魔女やその手下を次々と打ち倒していくんですね。マミの姿を見て、さやかは「こういう魔法少女になりたい」という気持ちを形成していきます。
何処かしら魔法少女に対しての希望をもったさやかはマミに相談します。「契約の際に叶えられる願いを他人の為に使ってもいいのか」と。上條の左腕を治す事で彼の役に立ち、そして魔法少女となって彼のいる世界を守りたいと。しかしマミは否定的な意見でもってさやかに疑問を呈します。
「でもあまり感心できた話じゃないわ。他人の願いを叶えるのなら、尚の事自分の願いをハッキリしておかないと…」
「美樹さん、あなたは彼に夢を叶えて欲しいの?それとも、彼の夢を叶えた恩人になりたいの?」
さやかの根源的な願いは上條にとって大切な人になるコトで、それを誤魔化しているのではないか?と。そう問い掛けられるわけです。
マミの問い掛けはさやかの魔法少女になりたいという気持ちにブレーキをかけるコトになり、また違う方向性を模索することになります。これは魔法少女にならないと決めたわけではありません。第三話Bパート冒頭でのキュゥべえとの会話でもわかるように「自分の気持が定まれば」魔法少女になるというコトです。
そこから何かしら建設的なやり取りが積み重ねられれば何も気負い込むコトなくさやかは魔法少女となれたのでしょうが、「もしも」の可能性は巴マミが魔女に喰われて死ぬことで潰えます。
ここで美樹さやかは理想としていた先輩の死という不幸に出逢うコトになり、自分の無力さを痛感することになります。第三話ラストで、シャルロッテのグリーフシードを手にして去ろうとするほむらに「返してよ・・・それはマミさんの物だ」と叫ぶも「そう、これは魔法少女の為のものよ」と返される。魔法少女でなかったコトで失ったものは大きかったのです。
もっと広い視点で見れば魔法少女でなかったコトで得られていた幸せは多くあった筈ですが、さやかはそれに気づく事のないまま決断を迫られることになります。
魔法少女になるのか、ならないのか?
■何の為に魔法少女になるのか
急速に動き出す事態と比例して、さやかの心中で色んなものが清算されていきます。
第三話においてグリーフシードが孵化しようとしていた場所は上條の入院していた病院。見滝原市を、自分の住んでいる街を蝕む魔女が・魔法少女が存在している。守ってくれていた巴マミはもういない。ならば誰がこの街を守るのか。
自分が守らなければならないという気持ちがさやかの中で大きくなっていく。見滝原市の平和を守る正義として立たなければならないという気持ちと並行して、巴マミの存在は戦う為にどういう覚悟がいるのか思い知らせる為の指標だったと位置づけられます。
上條の絶望に触れて、今の自分の無力さを確信した美樹さやかはついにキュゥべえと契約します。彼女の中では、無力さを打破する一縷の望みが、魔法少女になる事だったのです。願いは叶い上條の左腕は完治、魔女に襲われていたまどかや仁美を…守るべきものを救うことが出来ました。ここでさやかは理想の魔法少女になることが出来たのです。
しかし、その後からさやかに突き付けられる現実は非情でした。さやかの魔法少女としての素質は低い(見滝原を守るには非力である)ということ、マミだけが特別な存在で多くの魔法少女は自分の為にしか力を使わない非道な者たちだということ、既に人間としてではなくソウルジェムに自分の総てを封じ込められた異質な存在となっているということ。
残酷な事実が次々とさやかを襲い、それらにさやかの精神は消耗されていきます。それでもさやかは第6話でまどかに宣言したような生き方を続けるのです。
「私はね、ただ魔女と戦うだけじゃなくて大切な人を守るためにこの力を望んだの。」
「だからもし、魔女より悪い人間がいれば私は戦うよ。喩えそれが、魔法少女でも」
ですが、さやかが理想としていた魔法少女像には欠落している部分があるように思えます。先程のマミの質問に隠されていた、もう一つの問い掛け。「何の為に魔法少女になるのか」。これは第7話での杏子との対話で再度浮上してきます。
さやかがこだわっていた「力(願い)を他人の為に使うのか、自分の為に使うのか」という事と、「他人の為に魔法少女になるのか、自分の為に魔法少女になるのか」という事は似ているようでまた違った問題です。魔法少女になるコトで自分に内在する欠点が補われるわけではないし、願いが奇跡だとしても自分以外の日常が劇的に変化するわけでもない。そこから先の成長という部分は変わらず魔法少女になった本人次第なのです。
マミだって杏子だって、結局は自分の為に魔法少女になったのだというコトを心の何処かで自覚していました。それを踏まえた上で杏子は自分の為に魔法を使う事を選択し、さやかにも「魔法少女になったのは自業自得なんだから、割りきって自分の為に生きろ」と説くのですが、さやかはそれを拒み他人の為に生きると宣言します。自分は正しい道を歩むのだと。
自分には素質がない、上條にとって自分は「入院中ずっと励ましてくれた幼馴染み」どまり……それでも自分の理想は守りたい。喩え「自分の為に魔法少女として生きる」のが楽だとしても。そんな生き方をする魔法少女たちが他人に対して真っ直ぐ正しいことをしたと言えるような結果を生み出してこなかったのを知っているから。
さやかは自身の純真さを必要以上に表現しようとして、逆に鬱屈した感情をゆっくりと溜め込んでいくことになります。
もう日常には帰れないのです。それに他人の為に正しく力を行使した巴マミは殆どの人に記憶されることなく忘れ去られようとしているコトを、さやかは学んでいません。
さやかが生きていた世界は善悪がはっきりしていて、良い事をすれば巡り巡ってそれが返ってくるという観念の中で存在しています。さやかだけの現実においては、自分の住む街の人々は守るべきもので守らないといけないものでした。
日常に帰れないコトも、他人の為に総てを捧げるコトに本当に何の見返りも存在しないコトも、守ろうとするものが全て良い人ばかりの集団でないコトも、気付いてゆくのはさやかの友達である…かつて彼女が守った志筑仁美が上條恭介に告白すると宣言されてからでした。
上條との関係を進めようにもソウルジェムが彼女自身だという異質さを受け入れて貰える事など決して無い。志筑仁美はお互いフェアに本当の気持を伝え合って関係を築いていこうと提案するわけですが、スタートラインにおいて違うわけです。再度さやかは無力さを突き付けられてしまうコトになります。それを埋める為に魔法少女になったというのに。
耐え切れない気持ちがさやかを壊し始め、やがて遵守してきた一線を越えるコトになります。
■崩れゆく……
第8話でのさやかは、ひたすら自分の行為の正当化と自分のエゴとの葛藤に奔走する事になります。
まず、日常にいてもさやかを支えてきたまどかを捨ててしまう。
雨宿りのシーンでまどかは、さやかの痛みを消し去り身を粉にするような戦い方を諌めます。見てて痛々しいと。感じないから自分の身体を傷つけてもいいなんてのはいけないと。それにさやかの為にならないと。
でも逆にさやかはまどかに問い返します。じゃあ何が自分の為になるというのか。誰が何をしてくれる訳でもないのに。日常との乖離を明確にされて、さやかは自分の得られるものを渇望していきますが心はひたすらに渇いていきます。
どうすればさやかが幸せになれるかと悩むまどかに、「ならお前が戦え」と難題をふっかけます。日常からのサポートとして、まどかを位置づけていたはずなのに。まどかを魔法少女にさせないと、思っていたはずなのに。
前線に立って戦っている自分自身を正当化して、魔法少女になる事を選択しなかった…安全な場所にいる…何もしないまどかには自分の気持ちなんかわかるわけないと突き放すワケです。
まどかに素質があるというコトも相まってか、必要以上に残酷な言葉を叩きつけて去っていく。自分でも、もう救いようがないと思うほどに。
そして公園で会話する上條と仁美を影から見て、本当に上條との関係が築けないのだというコトを突き付けられて自暴自棄になっていくわけです。ほむらの差し伸べた手も払って、意固地に自分の理想に縋ろうとします。
「あんたたちとは違う魔法少女になる…私はそう決めたんだ。誰かを見捨てるのも、利用するのも、そんなコトをする奴等とつるむのも嫌だ。見返りなんて要らない、私だけは絶対に自分の為に魔法を使ったりしない」
「私が死ぬとしたら、それは魔女を殺せなくなった時だけだよ。それってつまり用済みってことじゃん。…ならいいんだよ。魔女に勝てない私なんてこの世界にはいらないよ」
魔法少女としてのみ、自分の価値は存在していると断言するのです。それが出来なくなってしまったら自分は死ぬのだ、と。
自己犠牲の極地とも言えますが、使い捨てのモノとしてしか自分の存在価値が見出せない者が語る理想ほど現実の伴わないものはありません。誰かに支えられてこそ自分は生きているのだと認めているからこそ、誰かを救ったり出来るのだというコトにさやかは気づいていません。
抜け殻のようになったさやかは、辿り着いた電車の中で碌でも無い二人組の会話を耳にします。自分に貢ぐ女を役に立たなくなったら簡単に捨てる、愛も何も無い、ただ利用価値があるかないかで判断する男たちの会話を。
普段なら聴き逃していたかもしれない、通り過ぎた後で「最低だな」と友達と話し合うだけで済むかもしれないその会話が、さやかの心を酷く波立たせたわけです。
「その人、アンタのことが大事で、喜ばせたくて頑張ってたんでしょ。アンタにもそれが分かってたんでしょ?なのに犬と同じなの、『ありがとう』って言わないの?役に立たなきゃ捨てちゃうの?」
「ねぇ…この世界って守る価値あるの?あたし何の為に戦ってたの、教えてよ。今すぐアンタが教えてよ。でないと、私……」
さやかが上條にしてきたコトが、もしかしたらこんな形で扱われているかもしれない。そう考えたら、気が気でないでしょう。勿論そんなのは可能性上の話で、上條に真意を確かめてない状況でどうこう言うべきものでは無い筈です。ですが、もし、そう思われていたとしたら。
さやかが僅かに見出していた存在意義も失われてしまう。
「もし、魔女より悪い人間がいれば私は戦う」と、さやかはかつて言っていました。他人の為に魔法を使うと言っていたさやかは、この時初めて自覚した上で自分の為に魔法を使ったのだと、そう思います。
「別にもう、どうでも良くなっちゃったからね。結局私は、一体何が大切で何を守ろうとしてたのか、もう何もかも…訳分かんなくなっちゃった」
自分の掲げた理想に心身共に疲弊しきったさやかは、誰もいない駅のホームで駆けつけた杏子にひび割れたソウルジェムを見せて呟きます。
「希望と絶望のバランスは、差し引きゼロだって…いつだったかアンタ言ってたよね?今ならそれ、よく分かるよ」
「確かにあたしは何人か救いもしたけどさ、だけどその分、心には恨みや妬みがたまって、一番大切な友達さえ傷つけて。…誰かの幸せを祈った分、他の誰かを呪わずにはいられない。あたし達魔法少女って、そういう仕組みだったんだね」
「あたしって、ほんとバカ」
壊れてしまったもの、壊してしまったものが色々とあります。普通の少女としての日常、上條との関係、自分の目指した正義、理想…。その全てが、さやかを(今は魔法少女という異質のものだったとしても、かつてそうであったように)人間として存在させていたものでした。
さやかが魔女になった理由は、揺るがない自分の信念を持てなかったこと、不安定な信義に縋ったこと、自分が魔法少女になれば人並みの幸せなど得られようも無い事に気付かなかったこと、そもそも報われるコトなど無いということ、それに気付いても自分なりに気楽に生きられなくて思い詰めてしまい絶望してしまったコト、でしょうか。勿論それだけでは無い様々な要因がからみ合っての結果なのですが。
そもそもの話として、魔法少女として守れるのはあくまで「魔女(ないしは魔法少女)が他人に害をなそうとする」事からのみです。現実に蔓延する害悪全てを打ち払えるワケではない。
それをさやか自身が気付いていなかったことに問題の根源があるのではないかと、そう思うのです。
■諸悪の根源、個人の限界
さやかは自分の無力さを知りながらも、何処かで魔法少女は「守りたいもの全てを守り切れる・守り切ろうとするもの」だと考えていた節があります。
ですが、それは間違いです。「魔女が結界の中に人をひきずり込んだり、その口づけで人を死に陥れたりする」のを根絶することが即ち「現実に存在する害悪全てを滅ぼす」ことには繋がらないのです。現実は魔女なんかいなくても悲劇は起きますし同様に自殺や他殺も溢れています。
現実に影響を及ぼす害悪の集団を倒せば世の中が平和になるのではなく、現実が現実としてその害悪に左右されずに動いてゆくというそれだけなのです。
出来ることはあらかじめ限られていた筈です。あくまで魔女の手から、そして人を犠牲にしても構わないと考えるような魔法少女から守る所までしか出来ないのだと。
ソウルジェムは手のひらに包み込めるだけの大きさしかありませんでした。それは即ち自分の中で割り切れないものを貯めこんではおけない魔法少女の心の大きさを表現しているのかもしれません。
この記事へのコメント
teru
さやかは、登場人物の中で唯一本当の死者になってしまったけれど、再構築後の世界で、恭介の演奏を聴き届けたことが、彼女のたった1つの希望だと思います。
m.s
フェイト
掃除機
さやかに希望を・・・
那覇
あ
魔獣サヤカという偽者が出てきて気の毒。
最終回でなかったことになったのが唯一の救いか。